「行動経済学」は「経済学」なのか(前編) [理数系思いつき]
前回(↓)の続き
http://himakou.blog.so-net.ne.jp/2013-06-28
再び博士と助手の会話。
助手:博士,先日,日経新聞の連載コラム「やさしい経済学」で「神経経済学」が載ってましたが,その後「行動経済学」に変わりましたね。
博士:前回話したとおり,わしは「神経経済学」を「経済学」の一分野としてわざわざ位置づけることに賛同しない立場をとっておる。重要なことは,現在および将来における効用に関する洞察を持つことであって,洞察のヒントをどこに求めるかは些細な問題といえるからじゃ。
助手:博士の主張はよくわかりました。それで,今回は「神経経済学」でなく,「行動経済学」なんですが。。。
博士:おお,そうじゃったな。いずれにしても,わしは「行動経済学」にも釈然としないものがある。
助手:博士,またですか? なぜ?~☆~☆~☆~☆~☆~☆~☆~☆~☆~☆~
助手:「行動経済学」はウィキにはこう書いてありますね。
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E8%A1%8C%E5%8B%95%E7%B5%8C%E6%B8%88%E5%AD%A6
博士:始めに誤解のないように言っておくと,わしは「行動経済学」そのものには賛同する立場じゃ。わしの理解はこうじゃ。従来の経済学は,「合理的経済人」の存在を前提に議論を組み立てるが,こうした「合理的経済人」はリアリティに乏しいというか,人間の血が通っていないとの批判があった。
助手:はい,よくわかります。
博士:そもそも,科学とは研究対象を虚心坦懐に観察するところから始まるものであって,よく観察もしないで「合理的経済人」の存在を前提にしては,経済学はおよそ科学とは言えないという批判も根強い。
助手:わたしも大学に通い始めた頃,教養学部の経済学が「人文科学」の一つに位置づけられていることに違和感を覚えたことを思い出しました。
博士:「人文科学」とは「自然科学」の対立概念じゃが,人間を研究対象としていることを言い訳にして,研究対象の観察をないがしろにしては,真理の探究などおぼつかんわい。
助手:経済学は実験ができないことをよく言い訳にしていますが,そのためにいろんな学派が思い思いのモデル化を行い,互いに白黒がつけられない状況です。
博士:こうした中,「行動経済学」はこうした混沌とした状況から少しでも基本に戻ろうとして,人間の経済的な判断に関する実験や観察から出発しようとしており,大変すばらしいことじゃ。
助手:そうですね,博士。それでは今日はこのへんで。
博士:(慌てて)いかん! いままでは単なる前フリじゃ。
助手:長い前フリでしたねえ。そこまで「行動経済学」を肯定しておいて,何が不満なんですか?
博士:2013/07/08の日経では,勘違い認知バイアスの例として,こんな例をあげている。
選択肢A:確率100%で30万円もらえる
選択肢B:確率80%で40万円もらえるが,確率20%でまったくもらえない
選択肢C:確率5%で30万円もらえるが,確率95%でまったくもらえない
選択肢D:確率4%で40万円もらえるが,確率96%でまったくもらえない
博士:記事によれば,AとBではAを選択する人が多い一方,CとDではDを選択する人が多いとのことじゃ。きみ,この話を聞いてどう思う?
助手:わたしもAとBではAを選択したいですし,CとDではDを選択する気がします。
博士:記事によれば,「伝統的経済学」においてはこうした選択の組み合わせは合理的ではないそうじゃが,これを「確実性効果」と呼ぶとのことじゃ。
助手:なるほど,記事によれば,選択肢Cと選択肢Dはそれぞれ以下のように読み替えることができます。したがって,AとBでAを選択する人は,CとDでCを選択する方が合理的だということですね。なるほどなるほど。
選択肢C:確率5%で選択肢Aの権利を与えられるが,確率95%で何も与えられない
選択肢D:確率5%で選択肢Bの権利を与えられるが,確率95%で何も与えられない
博士:(すっかり機嫌を害して)何がなるほどなるほどじゃ。この実験には致命的な欠陥があるのがわからんのか。
助手:何ですって!?
<続く>
http://himakou.blog.so-net.ne.jp/2013-06-28
再び博士と助手の会話。
助手:博士,先日,日経新聞の連載コラム「やさしい経済学」で「神経経済学」が載ってましたが,その後「行動経済学」に変わりましたね。
博士:前回話したとおり,わしは「神経経済学」を「経済学」の一分野としてわざわざ位置づけることに賛同しない立場をとっておる。重要なことは,現在および将来における効用に関する洞察を持つことであって,洞察のヒントをどこに求めるかは些細な問題といえるからじゃ。
助手:博士の主張はよくわかりました。それで,今回は「神経経済学」でなく,「行動経済学」なんですが。。。
博士:おお,そうじゃったな。いずれにしても,わしは「行動経済学」にも釈然としないものがある。
助手:博士,またですか? なぜ?~☆~☆~☆~☆~☆~☆~☆~☆~☆~☆~
助手:「行動経済学」はウィキにはこう書いてありますね。
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E8%A1%8C%E5%8B%95%E7%B5%8C%E6%B8%88%E5%AD%A6
博士:始めに誤解のないように言っておくと,わしは「行動経済学」そのものには賛同する立場じゃ。わしの理解はこうじゃ。従来の経済学は,「合理的経済人」の存在を前提に議論を組み立てるが,こうした「合理的経済人」はリアリティに乏しいというか,人間の血が通っていないとの批判があった。
助手:はい,よくわかります。
博士:そもそも,科学とは研究対象を虚心坦懐に観察するところから始まるものであって,よく観察もしないで「合理的経済人」の存在を前提にしては,経済学はおよそ科学とは言えないという批判も根強い。
助手:わたしも大学に通い始めた頃,教養学部の経済学が「人文科学」の一つに位置づけられていることに違和感を覚えたことを思い出しました。
博士:「人文科学」とは「自然科学」の対立概念じゃが,人間を研究対象としていることを言い訳にして,研究対象の観察をないがしろにしては,真理の探究などおぼつかんわい。
助手:経済学は実験ができないことをよく言い訳にしていますが,そのためにいろんな学派が思い思いのモデル化を行い,互いに白黒がつけられない状況です。
博士:こうした中,「行動経済学」はこうした混沌とした状況から少しでも基本に戻ろうとして,人間の経済的な判断に関する実験や観察から出発しようとしており,大変すばらしいことじゃ。
助手:そうですね,博士。それでは今日はこのへんで。
博士:(慌てて)いかん! いままでは単なる前フリじゃ。
助手:長い前フリでしたねえ。そこまで「行動経済学」を肯定しておいて,何が不満なんですか?
博士:2013/07/08の日経では,勘違い認知バイアスの例として,こんな例をあげている。
選択肢A:確率100%で30万円もらえる
選択肢B:確率80%で40万円もらえるが,確率20%でまったくもらえない
選択肢C:確率5%で30万円もらえるが,確率95%でまったくもらえない
選択肢D:確率4%で40万円もらえるが,確率96%でまったくもらえない
博士:記事によれば,AとBではAを選択する人が多い一方,CとDではDを選択する人が多いとのことじゃ。きみ,この話を聞いてどう思う?
助手:わたしもAとBではAを選択したいですし,CとDではDを選択する気がします。
博士:記事によれば,「伝統的経済学」においてはこうした選択の組み合わせは合理的ではないそうじゃが,これを「確実性効果」と呼ぶとのことじゃ。
助手:なるほど,記事によれば,選択肢Cと選択肢Dはそれぞれ以下のように読み替えることができます。したがって,AとBでAを選択する人は,CとDでCを選択する方が合理的だということですね。なるほどなるほど。
選択肢C:確率5%で選択肢Aの権利を与えられるが,確率95%で何も与えられない
選択肢D:確率5%で選択肢Bの権利を与えられるが,確率95%で何も与えられない
博士:(すっかり機嫌を害して)何がなるほどなるほどじゃ。この実験には致命的な欠陥があるのがわからんのか。
助手:何ですって!?
<続く>
2013-07-27 22:53
nice!(0)
コメント(0)
トラックバック(0)
コメント 0